|
北西 功一
私が調査したアフリカの写真
北西授業用ページへ
|
1965年11月25日、石川県金沢市に生まれる。石川県立金沢泉丘高校卒、京都大学理学部卒、京都大学大学院理学研究科(動物学専攻)博士課程修了。理学博士。
大学院修士課程時代は、沖縄の小離島(伊平屋島)で漁労活動および漁民の社会関係の調査をした。しかし、島の人の目には漁業の手伝いをしているヤマト(本土)の青年としか映っていなかったらしい。その後、博士課程に入り、1991年に初めての海外旅行(かつ初めて飛行機に乗った)でアフリカの熱帯雨林(コンゴ共和国)に行き、一年強を過ごした。そこでは「ピグミー」の一グループであるアカの人類学的な調査をおこなった。さらに1993-4にはカメルーンを五ヶ月間過ごしてバカ・ピグミーの調査をおこなった。1995年には再びコンゴに四ヶ月間滞在した。
1997年10月、山口大学教育学部国際文化教室にようやく就職した。
1999年2-3月、2000年8-10月、2004年2-3月には再びカメルーンでバカ・ピグミーの調査をおこなう。
1999年からバナナの足研究会を立ち上げ、インドネシア、マレーシア、ベトナム、フィリピン、インド、タンザニアなどでバナナ栽培文化の調査をおこなう。このバナナの研究についてはバナナの足研究会のホームページを参照してください。
また、私がこれまで書いた本、論文のリストはここをクリックしてください。
『アフリカの熱帯雨林に居住する狩猟採集民(いわゆるピグミー)の人類学的研究』
-
- ピグミーとは?
-
アフリカ熱帯雨林地域には、いわゆるピグミーと呼ばれる人たちが居住している。このピグミーという言葉を聞いたことのある人も多いだろう。現代社会の人々がピグミーという人たちに持つイメージはさまざまだ。森の奥に住む妖精のような神秘的な雰囲気を漂わせる人たち、小さな人たち、歌と踊りが大好きな人たち、ゾウを槍で狩猟する名ハンター、などなど。このようなイメージを持っているのは現代人だけではない。エジプト第六王朝(紀元前二五〇〇〜二四〇〇年)のフィオプス二世の署名のある文章の中に、ヘルホフという軍隊の指揮官に発した命令がある。その命令とは、「樹木の国からの真正のコビト」、「霊地から来た神の踊り子であるコビト」、すなわちピグミーを無事宮廷まで連れてくるように、というものであった。
このようなイメージは、ある程度はあたっている。コンゴ民主共和国(旧ザイール)東部のイトゥリの森に住むムブティ・ピグミーの成人男性の平均身長は150cmに満たない。コンゴ共和国北東部から中央アフリカ共和国南部に住むアカ・ピグミーでも成人男性の平均身長が160cmを越えることはないだろう。歌と踊りを好むというイメージもあたっている。アカやカメルーン東南部とコンゴ北西部に住むバカ・ピグミーでは精霊の登場する歌と踊りが盛んにおこなわれており、バカには50種類以上の歌と踊りが存在することがわかっている。
ここまでムブティ・ピグミーやアカ・ピグミーという名称を用いてきたが、ピグミーという語は一つの民族を指すものではない。アフリカ熱帯雨林地域には、ピグミーと呼ばれる人たちがいくつかのグループに分かれて点々と存在し、その各々のグループは異なる言語を話している(図1)。ムブティ、アカなどはそのグループの名前である。これまで、彼らは同一起源でアフリカ熱帯雨林の先住民であると考えられてきた。つまり、野生の動植物を狩猟採集することによって生活している人たちがまず熱帯雨林に存在し、その後、熱帯雨林における農耕の技術を身につけた人たちが森に進出して先住民である狩猟採集民を排除もしくは吸収し、ごく限られた場所で点々と残ったのが現在のピグミーである。近年、ピグミーは先住民ではなかったのではないかという仮説が提出された。この議論に深入りすることはできないが、少なくともアカとバカはほぼ確実に同一起源であり、ムブティもその可能性が高いと私は考えている。また、私の持つ生態学的なデータや農耕民の口頭伝承からピグミーが先住民であった可能性はかなり高いと考えられる。
私が調査をしているアカとバカはそのピグミーの1グループである。
-
アカはコンゴ共和国北東部から中央アフリカ共和国南部にかけて居住しており、人口は15,000〜30,000人と推定されている。私の調査地はコンゴ北東部のリクアラ州ドングー地区のモタバ川最上流の村リンガンガ-マカオ村周辺である(ただし、内戦のため最近は調査をおこなっていない)。
- バカはカメルーン共和国南東部からコンゴ共和国北西部にかけて居住しており、人口は3-4万人と推定されている。現在の調査地はカメルーン共和国東部州ブンバ・ゴコ県モルンドゥ郡ドンゴ村周辺である。
-
- 研究内容
- 生態学的研究
・アカ・ピグミーにおける狩猟や採集などの生業活動や食生活の季節的な変動と熱帯雨林という環境との関係。
アカは野生のヤムやナッツ、ハチミツ、イモムシなどを採集し、野生動物を罠や槍、ネットなどを利用して狩猟している。コンゴのアカはムブティなどその他のアフリカ熱帯雨林の狩猟採集民に比べて、野生動植物に依存する割合がかなり高いことが明らかになった。これは、アカの居住する半落葉樹林が常緑樹林よりも食用植物を豊富に生み出す自然環境であるということと、アカの居住する地域の経済環境が農作物に対する依存を小さくしているというのが理由として考えられる。アカの生業活動は、一年をサイクルとする季節的な変動だけではなくより長いタイムスパンにおいても変動しており、アカの生業活動の全貌を明らかにするには、今後より長期的な研究が必要である。
- 社会・経済的研究
・アカにおける食物の「所有」
アカにおいてある食物の「所有者」であるということは、私たちが普通に考える私有財産の所有者とは全く異なる。アカにおいて「所有者」であるということはその食物の分配において「与え手」になるということを意味する。つまり、「所有者」が持つ権利は誰にどの部分を与えるのかということを決める権利であり、分配するかしないかを決定する権利ではない。このような「所有者」の概念に基づく食物分配がアカのキャンプ内の社会的関係を形成、維持している。
・アカ・ピグミーにおける生業活動の相互依存関係。
狩猟採集民社会には社会的分業がなく、誰もが日常生活に必要な作業をおこなうことができるが、実際の狩猟採集活動における収量や頻度には個人差のあることが知られている。アカの男性の狩猟とハチミツ採集においても個人差が存在しているが、それは年齢が重要な要因となっている。近隣の農耕民から得る狩猟道具の数が年齢によって違うことや、各々の生業活動に必要な体力が違うことによってこのような個人差が存在し、世代間におけるゆるやかな分業を形成している。各々が手に入れた食物は、先に述べた「所有」に基づいて分配され、キャンプの構成員全てに食物が十分行き渡るのである。この食物分配システムが年齢の異なる男性間の相互依存的な関係、ひいてはキャンプ全体の生活を成り立たせているのである
・アカ・ピグミーと近隣の農耕民との社会・経済的関係
ピグミーは近隣の農耕民とさまざまな面で関係を結んでいることがこれまで知られている。経済的には、ピグミーは肉などの野生動植物資源や農作業などの労働力を提供し、農耕民は農作物や工業製品などを与えている。ピグミーが農耕民の葬式などに参加することも見られる。異民族間関係の実例として、特に経済的側面に注目して現在調査を継続中である。
・バカ・ピグミーにおける農耕、特にバナナ栽培の受容とそれに伴なう社会変容
バカ・ピグミーは1950年代から焼畑農耕を受け入れ、次第に定住的な生活を送るようになってきた。定住生活と農耕を受け入れた原因、およびそれに伴なって彼らの社会がどのように変化したのか、さらには彼らが受け入れた農耕の特徴を分析している。
彼らは1950年代まで、植民地政府による農耕化及び定住化の働きかけがなされたが、農耕化、定住化することはなかった。彼らが農耕を始めたもっとも大きな要因は農耕民との関係が変化したためのようである。それまでバカは農耕民に対して労働力や森の産物を提供した見返りに農作物を手に入れていた。しかし、商品経済が導入される中で、農耕民はバカと商品経済の媒介者になり、バカに対して経済的により優位に立ち、ヨーロッパからの工業製品をバカに不利なレートで交換することによって、農耕民の考え方からすると、バカは農耕民に大きな負債を背負うことになり、農耕民はバカにこれまで与えていた農作物を与えなくなった。このため、バカが自分で農作物を作らざるをえなくなったというのが1950年代の状況である。
しかし、彼らは「農耕民」になったわけではない。彼らのおこなう農耕は「狩猟採集民の農耕」ともいえるもので、「いいかげん」「計画性のなさ(よく言えば状況に合わせて柔軟に対応する)」など即時リターンシステムの特徴を残したものである。また、彼らが主要な作物としているバナナは、「狩猟採集民の農耕」に適したものであり、このような作物が存在したことが農耕化を可能にした一つの要因である。
・バカ・ピグミーにおける現金経済の導入とそれに伴う彼らの生活の変化
・バカ・ピグミーにおける土地所有の変化−狩猟採集のテリトリーから相続される農地へ
・バカ・ピグミーにおける学校教育の導入
-
-
- 参考文献
- Bahuchet, S., 1985. Les Pygmees Aka
et la Foret Centraficaine, Paris, SELAF.
- 市川光雄, 1982. 『森の狩猟民−ムブティ・ピグミーの生活』人文書院.
- 北西功一, 1997. 「狩猟採集民アカにおける食物分配と居住集団」『アフリカ研究』51.
- 北西功一, 2001. 「分配者としての所有者−狩猟採集民アカにおける食物分配」『講座生態人類学2 森と人の共存世界』京都大学学術出版会.
- 北西功一, 2002. 「中央アフリカ熱帯雨林の狩猟採集民バカにおけるバナナ栽培の受容」『山口大学教育学部研究論叢』52(1).
- Kitanishi, K., 1994. The exchange of forest
products (Irvingia nuts) between the Aka hunter-gatherers and the cultivators
in northeastern Congo, Tropics, 4 - 1.
- Kitanishi, K., 1995. Seasonal changes in the
subsistence activities and food intake of the Aka hunter-gatherers in northeastern
Congo, African Study Monographs, 16 - 2.
- Kitanishi, K., 1996. Variability in the subsistence
activities and distribution of food among different aged males of the Aka
hunter-gatherers in northeastern Congo, African Study Monograghs, 17 - 1.
- Kitanishi, K., 2000. The Aka and Baka: food
sharing among two central Africa hunter-gatherer groups. The Social Economy
of Sharing: Resource Allocation and Modern Hunter-Gatherers, Senri Ethnological
Studies 53.
- 都留泰作, 1996. 「バカ・ピグミーの精霊儀礼」『アフリカ研究』49.
|